井上靖 『猟銃』 2005年10月
人には自分の内に秘められたものを誰かに知ってもらいたいという欲求があるのだろうか。 「猟銃」という詩を読んで、そのモデルは自分に違いないと三杉穣介は思った。それを作者である「私」に手紙で書いてよこした行為はそれなりに頷ける。ただ、彼の場合、「私」が詩の中で書いた「白い河床」なるものを知ってもらいたいとの思いから、最近自分に寄せられた三人の女性からの手紙を後日送り届けてきたことが、ある意味常軌を逸している。
天城山麓の山道ですれ違った中年紳士と「私」はただそれだけの関係である。ましてやそのときの紳士が三杉であるという確証もない。しかし、「私」が詩の中で表現した「どこか落莫とした白い河床」、「中年の孤独なる精神と肉体」という言葉を、三杉は自分のものとして受け止め、「私」を類い稀なる慧眼の持ち主と判断した。読者をそのような方向に導いたというのは芸術の力と言っていいかもしれない。 三杉に寄せられた三人の女性の手紙は、いずれも彼に別れを告げているという点で共通している。姪の薔子には母親と三杉の関係を知った以上、もう三杉には会うことはできないと告げられる。妻のみどりは、夫と彩子の関係は13年前から知っていたこと、そしてもう離婚することがお互いのためだと淡々と述べる。そこには何の未練も感じられない。そして、彩子は二人の関係をみどりに知られた以上、もう自分は生きていくことはできないとして、自ら命を断つことを知らせて寄越した。彼女からの手紙は遺書だったのだ。
かつて二人で「世間の人全部を騙し通しましょう」と誓い合ったとき、その「世間の人全部」の中には当の相手である三杉も含まれていたという彩子の告白は、読者を十分驚愕させるだろう。彩子にはかつて夫の門田が女性と間違いを犯したことが許せず、頑なな態度で離婚したという過去があった。彼女自身、その後門田のことは忘れていたとはいうものの、その事実がしこりとなって残ったことは事実である。彼女は三杉を自ら積極的に愛したのではなく、三杉の要求に流されたのだ。 ただ、そのことで彼女は不幸だったわけではない。彼女自身、「幸せだった」と述べている。ただ、彼女は「愛する」ことよりも「愛される」ことを望んだ女性であり、死を前にした今そのような自分を後悔する思いがないわけではない。
三杉は、「人間は誰でも身体の中に一匹ずつ蛇を持っている」と彩子に語ったことがあった。彩子もまた蛇を潜ませた人間であったことを、彼女の遺書は教えてくれる。
この手紙を三杉はどう受け止めたのであろうか。作品では何も触れられていない。それを考えるのは我々読者の想像力に委ねられている。