(7)『地獄変』

芥川龍之介『地獄変』 2005年11月

小田島 本有    

  『地獄変』は、娘を犠牲にしながらも地獄変屏風を完成させた画師良秀や、その対抗者であり時の権力者でもあった大殿にともすれば注意が向けられがちである。確かに、良秀の娘を身動きできぬ状態のまま御車に乗せ、そこに火をつけさせた大殿の命令はもとより、その光景を目の当たりにして絵筆をとり始めた良秀の行為は共に狂気を帯びている。その衝撃的な異常性が読者の心を捕らえるというのは、ある意味で無理もない。
   しかし、この作品が大殿に20年来ご奉公していた「私」によって語られているという事実を見逃すわけにはいかないだろう。「私」は大殿の威光がいかに並々ならぬものであったかを冒頭で語っていく。だが、仔細に眺めてみると、大殿の権力というのが民衆たちの恐怖の上に成り立っていたことが伺える。大殿の御車から牛が放たれて、老人に怪我を負わせた時、この老人は手を合わせて「有り難がった」という。我々はこの老人が「有り難がって」いると解釈すべきではないだろう。 大殿に関する妙な噂も瞬時に掻き消されてしまう。自分が噂に関わっていたことが露顕した場合にどのような危害が加えられるか、民衆たちは痛いほど知っていたのである。  
  それだけに、良秀の傲慢ぶりが際立つのであり、大殿が彼を屈服させようとした所以がここにある。大殿の狙いは、良秀を画師として敗北させることであった。良秀は「見たものでなければ描けない」芸術家である。  
  地獄変屏風のあらましはできあがった、と良秀が申し出たとき、大殿は力のない表情をしていた。しかし、一ヶ所描けないところがあると聞いて、大殿の表情は一変する。どこが描けぬか畳みかけるように尋ね、ついにはその光景を現出させようと宣言したときの大殿はまるで狂気に駆られたような興奮ぶりを示した。大殿はこの時、自らの勝利を確信したのである。業火に包まれたわが娘を目の当たりにすれば、良秀は自分に助命を嘆願するに違いない。描けない良秀を人の目に晒すこと。これが大殿の狙いだったのだ。  
  しかし、大殿の狙いは外れた。良秀は火に焼かれる娘を目の当たりにしながら、その光景に見入っていたのである。そして地獄変屏風は完成した。  
  語り手「私」は決して大殿を非難する言葉を発しないし、大殿の敗北を宣言しない。それは長年権力者のもとに仕えてきた人間の巧みな自己保身の術であった。だが、大殿の敗北は、彼の表情を凝視する「私」の眼がしっかり捉えている。