三浦哲郎 『忍ぶ川 』2012年7月
「私」と志乃が出会い、新たな生活を始める物語、それが『忍ぶ川』である。
〈忍ぶ川〉とは山の手の国電の駅近くにあった小料理屋の名前である。当時近くの学生寮に住んでいた「私」は寮の卒業生の送別会の流れではじめてここを訪れ、そこで働く志乃と出会った。志乃に惹かれた「私」はその後も店に通うようになる。
深川という土地が二人を結びつける大きな機縁となった。深川は志乃が生まれ、12歳まで育った土地である。「私」も最近では頻繁に深川を訪れていた。木場の貯水池が3年前「私」の面倒を見てくれた兄を最後に見た場所だったからである。
木場を訪れたいと言ったのは志乃である。その後の兄の消息を尋ねる彼女に「私」は「死んだ」と答えた。二人の姉が自殺し、長兄が失踪するという度重なる不幸を抱えていた「私」にとって、最後の頼みの綱であるすぐ上の兄の姿が見えなくなったというのはかなりの衝撃であっただろうし、家族のことを問われるのが一番辛かった「私」にとって「死んだ」という答え方が何よりも便利だったのである。「私」はいたたまれずその場を立ち去ろうとした。しかし、このとき振り返ってみると、言葉を聞いて、そこにしゃがんで小さく合掌する志乃の姿があった。彼女の人柄に「私」が触れる一瞬だったと言えよう。
彼女が「私」を連れて行こうとしたのは、彼女の生まれ育った洲崎である。洲崎は娼婦の街であった。彼女は「私」に自分の生まれ育った場所を見せ、「あたし、くるわの、射的屋の娘なんです」と告げる。結婚する前に、自分は素性が卑しいという事実を彼女は「私」に伝えたかったのだ。こればかりではない。彼女は危篤となった父親に「私」を会わせる。よく見えない目で「私」を見たその父親は、「私」を「いい男だよ」との言葉を遺し、翌日息を引き取った。それまで志乃の一家が住んでいたのはお寺のお堂であり、いわば寺のご厚意によるものだった。父親の死によって、一家は棲家を失うことになる。
志乃を連れ帰った「私」の東北の実家は心温かく二人を迎え入れる。簡素な結婚式が挙げられ、その日二人は雪国の風習にのっとり、生れたままの姿で床に入った。そして「私」ははじめて志乃を抱く。「その夜、志乃は精巧につくられた人形であった。そして、私は、初舞台をふんでわれを忘れた、未熟な人形遣いであった。」の表現がいかにも初々しい。
母親の勧めで二人は新婚旅行に旅立つ。駅を出てまもなく、志乃は「うち! あたしの、うち!」と叫ぶ。汽車の窓から見えた「私」の家を「あたしのうち」と呼ぶ志乃の言葉の裏には、ようやく〈自分の家〉を探し当てた喜びが込められていた。周囲の視線を感じて頷きつつも赤面する「私」の姿を描いて作品は幕を閉じる。呪われた家族の血の呪縛から「私」はようやく解放された。志乃の無垢な心が「私」の魂を浄化させたのである。