(233)『萩のもんかきや』

中野重治『萩のもんかきや』  2024年9月

            小田島 本有

  「私」はぐずついた人間関係の解消を図るべく、その仲介役として萩の町を訪れた。その役目を終え、「私」は町を散策する。
 「私」は日頃家族のためにお土産を買う習慣がなかった。そのことを昔娘に非難されたこともある。散策中、「私」は夏蜜柑の砂糖漬を見つけた。「私」の好物であり、萩名物という文字も書かれている。戦時中、「私」の家族は友人の誘いもあって淡路の洲本にしばらく滞在していた。そのとき場末の駄菓子屋で夏蜜柑の砂糖漬を見つけ、買ったことがある。形は決して良いものではなく、屑砂糖漬とでも言うべきものだった。それを見た友人は「へえ。そんなもの食うんかね」と言いつつも、もっと上等なものを奥の戸棚から出してくれたが、それを子供たちが非常に喜んだという記憶がある。
 「私」は購入した砂糖漬を自宅に郵送しようとした。だが考えが変わり、それを持ち帰ることに決めた。土産を小脇に抱え、時間もあるので「私」はさらに散策を進める。
 そして町の端と思われるところまで来た時、「私」は妙なものを見つけた。小さな店らしいが、それが何の店だか分からない。ただガラス戸の向こうではこちらを向いて顔を俯けている女がいる。恐ろしく立派な鼻を持った女が一心に作業をしていたのだ。右手に細筆を持ち、左手には壺のようなものを握っていた。右手の筆の穂が針で突っつくように左手の小壺を突っつく様子は、見てはいられないような「ひどく残酷な仕打ち」のようにも思われたのである。
 その場を離れようとした際、看板のようなものがあり、そこには「もんかきや」(紋書屋)の文字が書かれていた。紋を書き入れる作業がいちいち人の手で行われることを、「私」はこのとき初めて知った。とても芯の疲れる仕事であるし、そもそもこれで商売が成り立つのであろうか、という疑問が「私」には浮かんできた。
 「もんかきや」の板の下に、さらに小さな文字で「戦死者の家」と書かれてあるのを「私」は目にする。この作業をしている若い女が「戦死者の家」の主人であり、後家さんであろうと「私」は想像する。
 この作品が発表されたのは1956年のこと。日本が敗戦を迎えて11年が経過している。だが、戦争のために寡婦となった女が一人で生きて行かねばならぬという現実は厳然としてある。戦争は決して過去のものではないのだ。