花田清輝『群猿図』 2024年11月
『群猿図』は花田清輝が戦後はじめて発表した小説。息子の武田信玄によって甲斐の国を追放された武田信虎に「わたし」が関心を寄せて言及していく作品である。
過去の史料では、信玄を「名将」とする見方の一方で、信虎に対しては「暴君」というレッテルが貼られてきた。「わたし」はこのような過去の評価に信玄を正当化する作為的なものがあったとして疑問の眼を向ける。それじたいは十分首肯できるものである。
作品中では、信玄の弟である逍遥軒信綱(信廉)の手による『逍遥軒記』という書物が引用されている。「わたし」はこの日記の中で描かれる信虎像にリアリティを感じると述べており、その理由を「兄の信玄に死別して以来、いくらか自分の眼で父親をみはじめたからであろう」としている。そして信虎と信綱がともに「一種の影武者」として酷似していたとも結論づけている。それだけ「わたし」は『逍遥軒記』に依拠しているのだが、実はこの日記は作者花田によって創作された虚構の史料だったことが後に明らかになる。
『群猿図』で「わたし」は信虎の特異性を彼が「猿のむれの集団的な戦略・戦術」に見出したところに求めている。「意地の悪い」信虎は「猿のむれにおそわれて途方にくれている百姓のすがた」を見て「嗜虐的なよろこび」を感じたという。それは「個人的な格闘」よりも「集団的な戦闘」を重視する兵法としてあらわれたと「わたし」は見た。
この作品の冒頭では、『犬筑波集』にある「都より甲斐の国へは程遠し御急ぎあれや日も武田どの」における「武田どの」とは誰のことを指しているのか、という問いかけがされている。天下を統一するつもりならぐずぐずしていないでさっさと都へ攻めのぼってくるがいい、と信玄に語りかけたものと一般的には解釈されているようだが、「わたし」はむしろこれは信虎をさしているのではないか、と疑問を投げかけている。
信虎は白山という名の一匹の大きなオス猿を買い取った。大きくて獰猛なこの猿は信虎のもとで飼われるようになり、なんと信虎に親愛の情を示すようになったという。信虎も白山に愛情を注ぎ、彼に踊りを教え、兵法の稽古をつけるようになった。そのような信虎の「愚行を放置しておくわけにはいかない」と思った幹部たちは信虎に進言しようということになった。そこで選ばれたのが大井信達。信達が進言すると、信虎は白山との立ち合いを提案する。だが勝負は呆気なく信達の負けとなった。次に名乗り出たのが信虎の寵愛を最近白山に奪われ嫉妬の情も抱いていた小沢の方であった。だが、このときも彼女の負けですぐ片がついた。
甲斐の国はもともと猿が数多く生息する地域であった。生け捕られた白山は集団から孤立を余儀なくされた存在である。国から追放された信虎にとって白山は共感しうる相手であったのかもしれない。