富士正晴『帝国軍隊に於ける学習・序』 2024年12月
徴兵検査で丙種となった主人公。一応「合格」の範疇には入るものの実質的には不合格の烙印を押されたと本人は思っていた。その主人公が戦場に送られたばかりか、最終的には「懲罰的編成」によって「忠勇無双の第一線将兵」になってしまう現実に晒され、「こりゃあ、日本は敗けたなとわたしは思った」と締め括られる作品である。帝国軍隊の内実を一兵卒の立場から浮き彫りにした点にこの作品の特徴がある。
簡閲点呼で「聖戦」や「鬼畜米英」について問われたときは紋切り型の返事をする。そうしなければ我が身が危ないからである。だが、その答えには実感が伴っていない。米英に対する敵愾心を強制されることには抵抗感がある。「わたしはシナ人を憎んでおらず、アメリカ人、イギリス人を憎んでおらない」のだから当然だ。この感情を押し殺してまで敵国を憎むよう強いられるのが戦争である。
戦争から帰還した友人の兄は、日本が「アジア人の兄」とされることに疑問を呈していたし、親戚の軍医は「退屈まぎらし」で中国人ゲリラの捕虜を人体実験したことを告白していた。それが本当にゲリラだったかも怪しいし、「ぞっとするが、やってる時は平気だった」と述べている。既にイタリアのムッソリーニは降伏し、いずれドイツ、日本も同じ運命を辿ることになることを彼は予告してもいた。
軍隊では賄賂やコネによって昇進を図ったり、自らを安全な位置に置こうと画策したりする人たちがいた。その一方で前線では将校が次々と死ぬため、幹部候補生を補充させる必要性が生まれていた。ところが幹部候補生の志願者を募っても挙手する者がいない。主人公もその一人だった。自分にはその資格がないし、そもそも将校という役が嫌いだったからである。
ところがあるとき、「われわれ十数人の老初年兵」が整列させられ、新たな編成に入ったことを命ぜられる。「幹部候補生を辞退した連中は一人残らず入っておる」という現実。これが恣意的かつ懲罰的な編成であることは明らかだった。「小うるさい連隊の中でくらすより、小うるさい地方でくらすより、どれだけ気が楽だろう」と主人公は思う。ここには半分本音、残り半分は自虐的意味合いが込められているのではないか。
作品の中で統制経済を進めようとする岸信介商工大臣の名が出ていた。この作品が発表されたのは1961年のことである。その前年に安保闘争が大きなうねりを見せる中、当時の岸首相がアメリカとの間で日米安保条約を締結させたことは読者の誰もが認識していた。
この作品は戦時下の記憶を呼び起こさせ、無効化しつつあった軍隊内部を抉り出すと共に、同時代の状況を読者に認識させようとする意図も含んでいたのである。