(237)『夏の葬列』

山川方夫『夏の葬列』  2025年1月

            小田島 本有

 山川方夫『夏の葬列』はもう半世紀以上にわたって中学校の国語の教科書に掲載されており、いわば定番教材である。授業で習った記憶のある人は数多くいるだろう。
 主人公が十数年ぶりに戦時中疎開児童として三ヵ月暮らしていた小さな町を訪れる。この町で彼は忘れたい過去の忌まわしい思い出があった。艦載機が上空を飛んできて彼は芋畑に倒れ込んだ。そこに彼を助けに来たのが彼と同様疎開児童で彼より2歳年上のヒロ子さんである。彼女は彼を防空壕へ連れていこうとやってきたのだが、彼女の白い服は余りにも目立ちすぎる。自分の身が危ないと感じた彼は思わずヒロ子さんを突き飛ばす。このとき彼はヒロ子さんがゴムまりのように弾んでいく光景を目にした。彼の記憶に残るのはこのときの血に塗れたヒロ子さんの姿である。それ以来ヒロ子さんがどうなったか、彼は知らない。だが、この一件が長い間彼の心の中で澱んでいたのも事実なのだ。
 よくよく読むとヒロ子さんは艦載機が訪れたとき既に防空壕に逃げていた。だが、年下の彼を助けるべく、彼女は防空壕を飛び出していたのである。これはまさに彼の命を助けたかったからに他ならない。
 久しぶりに訪れた町で、彼はたまたま葬列に出会う。写真の顔はあの女の顔だった。いま葬式をしているということはあのとき彼女が亡くなっていなかったことを意味する。その思いが彼にある種の解放感をもたらしたのは言うまでもない。この亡くなった人の体が丈夫だったことを近くの子供から聞いて、彼は「おれはまったくの無罪なのだ!」と思う。その「有頂天さ」が彼によけいな質問をさせた。この女がなんの病気で死んだか尋ねると、彼女は精神を病んでおり一昨日川に飛び込んで自殺したことを知る。遺影はかなり若い時のものだった。そして男の子は語る。「だってさ、あの小母さん、なにしろ戦争でね、一人きりの女の子がこの畑で機銃で撃たれて死んじゃってね、それからずっと気が違っちゃってたんだもんさ」
 彼は思いがけない事実を知る。ヒロ子さんは彼が突き飛ばしたことで敵の機銃の攻撃に会い落命した。
 久しぶりにこの町を訪れたとき、彼は夏のあの記憶を過去の中に封印するつもりだった。ところが、事態は全く逆だった。作品の最後で「海の音が耳にもどってくる」という一文がある。しばらく茫然自失の状態にあった彼は聴覚が働いていなかったのである。彼は「もはや逃げ場所はないのだという意識」に囚われる。彼の足取りの重さが読者の心に突き刺さる。