(224)『胡桃割り』

永井龍男『胡桃割り』  2023年12月

            小田島 本有

 「私」が友人と東京六大学野球の観戦を終え、向かった先は絵描きの友人の自宅であった。この絵描きは珈琲豆を挽いて「私」たちを待っており、やがて食卓には胡桃が出される。絵描きの友人はその胡桃をナット・クラッカーで見事に割り、「実は、今日は親父の命日でね」と語り出す。この作品はこの絵描きが少年だった頃の父親と胡桃に関する思い出を語ったものである。
 この主人公(「僕」)は小学校3年生の頃から母親が病のため伏せっており、それが3年間続いていた。このとき一泊の修学旅行が間近に迫っていたが、姉からは母親の容体が芳しくないためそれを断念してもらうことになるかもしれないと言われた。宿泊を伴う行事は初の経験であり、非常に楽しみにしていたこともあって、「僕」はこの話を素直に受け入れられず拗ねて部屋を飛び出した。そして父親の書斎に入ると、胡桃を盛った皿が置かれていた。いつも父親がそれを割っていたのを「僕」は覚えている。父親を真似てナット・クラッカーを使って割ろうとしても割ることもできず、癇癪を起こした「僕」はナット・クラッカーを放り投げてしまった。自分の怒りや鬱積した感情をうまく処理しきれない「僕」がそこにいる。
 結局、母親の容体はその後持ち直し、修学旅行に行くことはできたが、やがて母親は不帰の客となる。母が死んで父、姉、「僕」の三人暮らしとなったが、今度は姉が嫁ぐことになった。このとき、姉は、母親の看病を熱心にしてくれた桂おばさんが父親と再婚するのはどう思うかと提案してきた。父親も息子が納得するのであれば自分は異存がない、との意向を示していた。だが、この突然の話に「僕」は頭の整理がつかず「僕、嫌だ」と思わず言ってしまう。桂さんは母より3、4年下で美しい人だった。もの静かでおだやかな性格であり、「僕」は彼女に何の悪意も持ってはいなかったのである。この拒絶以来、なぜか「僕」は桂さんのことを思い出すようになる。
 母親の一周忌の前夜、姉も戻って来た。その時父親の顔が「僕」には老けて見えた。このとき、桂さんの面影が浮かび慌てた「僕」は思わずナット・クラッカーを手にして胡桃に手を伸ばす。胡桃はカチンといい音を立てて綺麗に割れた。そして「僕」の口から漏れた言葉は、「お父さん。僕、桂さんに家へ来てもらいたいんだけど……」というものだったのである。第二の母となった桂さんは亡き母以上に「僕」を愛してくれたという。
 思春期は反抗期とも重なる。本人にはなかなか説明のつかない鬱積した感情を持て余し、素直に自分を表現できなかったのがかつての「僕」だった。胡桃を見事に割ることができたとき、「僕」は心の壁を同時に割ることができたのである。
 非常に短い小説だが、心に残る佳品だ。