(225)『水仙』

林芙美子『水仙』  2024年1月

            小田島 本有

 母たまえ43歳、息子作男22歳。『水仙』はこの二人の関係が描かれた作品である。
 作男は就職試験の結果を聞かれ、「お前さんが子不孝なひとだから駄目だッた」と言い放つ。彼は幼少期から体が弱かったが、それが不合格の理由ではない。そもそも真剣に就職する気持ちがなく、面接ではふんぞり返って煙草を吹かしているのだから採用されないのが当然だ。だが彼は母親にその責任を転嫁している。就職しないことで母親の関心が自分に向けられることを彼は感じており、そこに作男の甘えがあった。
 作男は栄子という亭主持ちの女と懇ろになった。これも彼女に対しての愛情があったからではない。作男にとって栄子は食べさせてくれる便利な女だったからに過ぎないのだ。いずれにせよ作男の依存傾向は身に沁みついたものだった。
 この息子に手を焼くたまえに同情すべき点はある。だが、この母親も決して褒められたものではなかった。彼女は19歳のとき伊部直樹と知り合い、駆け落ち同然で出奔し作男を産んだ。その後女学校時代の友達である多津子が伊部と懇ろになったことを知り、怒りに駆られた彼女はとうとうその多津子を自殺にまで追い込んだ過去がある。夫もそのうち彼女の前から姿を消した。その後の彼女はさまざまな男を綱渡りするような危ない生活をするようになる。しかもたまえは作男に「姉さん」と呼ばせていた。これらのことが作男の精神に悪影響を与えないはずがない。作男は家から金を盗むこともするようになり、たまえは息子を殺したいという思いに駆られたこともあったという。
 たまえは男に依存する生活をしていたが、自分の容色が衰えつつあることも感じている。ある夜自分の背後をついてくる男の存在に気づき「多少の希望」を持ったものの、その若い男は彼女の顔を見て、すたすたと遠ざかっていった。
 我が家へ戻る気になれなかった彼女は神山夫妻の家を訪れる。「あわよくば神山夫妻の好意によって晩飯をよばれたい」という気持ちがあってのことだった。彼女が神山の家を出たのは九時ごろ。夫妻は玄関にも見送りには来なかった。この一件からも彼女がどう見られていたかが容易に想像できよう。
 帰宅すると、作男は就職の紹介をされたことをたまえに語った。場所は北海道の美幌だという。「美幌へ行けば死にに行くようなもンだ」とぼやく作男だったが、もはや駄々をこねていられる状況ではなかった。このとき初めてたまえは涙が溢れた。「もしも、ママが変った事があっても、帰って来ないでいいからね」と彼女は息子に語る。
 依存体質が身についていたという点で、この母子は似た者同士であった。その体質から脱却する意味でも、作男の北海道行きは二人にとっていいきっかけとなるのではないか。